2018
09.24

私の母はスピリチュアル 父は母の強信者 私の姉は拒食症で死んだ

乃理子

私の母はスピリチュアル 父は母の強信者 私の姉は拒食症で死んだ

苦しみがドンドン水面下に閉ざされていっている。
内なる出来事を社会に発信する。
冷静さ理性を持たなければ、本当の苦しみの存在を
知るこさえ出来ないのではなかろうか。

私には、見栄などを持っている暇はない。
裏で起こっている「家風」というものが、
どれほどその人の人生にとってバカには出来ないものか。
を、真剣に思索しているのです。

私にとって大切な人であるからこそ、社会にとって価値ある息づかい
であって欲しいのです。

これから書き残す文は本当に書いて良いのか?それとも書かない方が良いのか?
ペンを執りながら答えは出ておりません。しかしながら、今こうしてペンを執っている事実が私の本当の心の発露であることは、間違いないのである。

今、私は53歳である。この53年間で世間の皆様に明かす真実とは~。

口を閉ざしてしまえば、世間から見れば何不自由なく生きている女性と見られているのではなかろうか? 又、私への関心などあるはすもない。
衣食住に苦しみ、愛に苦しみ、などではなく・・・・。
人間という性格を越えた思想というものに苦しんでいる私。

私の母は、スピリチュアル。そして、私の父はその母に全てを洗脳されている信者であり、そして私の5歳上の姉は、11年前に拒食症で死んでしまった。
そして私は、親の言うことを聞かないと風邪をひく。と、結婚するまで、本気で信じていた人間である。

53歳になるまで、本来その人の考え方性格とかが、自分の人生にとって影響を与え、また、これほどまでに人への苦悩となり、その人の未来までをも変えてしまうものだとは、想像もしていなかった。

ただただ、何不自由のない衣食住と愛する人がいて愛されていれば幸せであると思っていた。されど「人」という字のごとく、人間という存在にとっては、状況以上に関係性がとても重要なものであることを私は学んでいる

私も長きに渡って自己の苦しみは全て自己の問題である。又は、相手の性格の問題である。といい聞かせてきた。人に相談したところでAかBかの善悪となったり、全てに感謝するように。と、返答されたり。ちょっと期待する答えでも、その問題をこのように解決すべきでは。と教えていただく等々であった。どれもこれも、あまり私の苦しみを取り除く答えではないのである。

本来人間は希望があってこそ前へ進むことが出来るのではあるが、それは互いに平等な対話でなければ、その関係性をより良くし理解し合える喜びとし、そして共に未来をつくって行くという人間としての生への意欲にならないのである。

これから姉が命がけで父母に訴えた、真実の手紙の内容を紹介したい。
一番彼女が伝えたかった事、「パパ一度でいいからママを叱って欲しい!!」と。

私の日常生活、それは、あまりにもコントロールがなされていた生活であった。
母の絶大なる予言と感情が全て。ハンドル操作がなされている。

子育ては自分育て。と、言われ今や一般的に使われているが、頭では理解しても
実行に移している人は少ないのかもしれない。例えば、母親が一番忙しい「今、瞬間」の時に「わざわざ手を止めて」子供の目線に合わせ、「どうしたの?」と聞いてあげることが、はたして出来るだろうか?

人間はみな、エゴの塊であるため、自分の感情を人のために抑えることが(出来るであろうか。最後まで)もし出来たとしても、私の母はスピリチュアルであるため自分の思想の神格化のために、こう言う【 絶対 】 的に私(母)は素晴らしく、私ほどのすごい人間は他にいない。母は選ばれた人間なので、自分から相手の心を察する必要は全くないのである。

私は霊感が強い。私の言う通りにしていたら間違い無い。と母は言う・・・・。
その思想を潔く強く信じている父は母にとって素晴らしい信者である。

しかし、その信者である父が母に対して文句を言うと、母は父に「忠犬ハチでいろ!」
「忠誠を誓え!」と叱りつける。そんな思想の元で生活をしていた私は、母が感情的に勝手に決めつけた思想だけで無く、さらに輪をかけるように、父の洗脳された思想がのしかかり、常に4つの目での、監視・しつけを繰り返されていた。

姉が命がけで書いた18kgしかない体で書いた、生命の叫びの一度でいいからママを叱ってほしい。という伝言さえも・・・

今年に入って聞いてみた。手紙の内容覚えている?と。
ふたり共、「知らん」と言っていた。「そんなんあったっけ?」と言っていた。

「私達みたいな素晴らしい人間」には、我が子の言葉でさえも全く届かないようである。

感情みたいな、やさしいものであるならば、お互い様。と。今となっては、笑って親孝行。と美しい物語として終わらせたい。と思う~。

今年に入って、再び日常を共にした時、思ったのです。
私と同じように苦しんでいる人が必ずいる。表と裏。そう世間では聞くに耐え難い、相手の心を無視した部分により、自分が形成されたことによる罪悪感、自分がわからなくなり自分が嫌いになり、汝自身の価値を下げる。そう、苦悩にあえいでいる人が必ずいるはずである

親からの洗脳を受け、優しい子供達が未来の無限の可能性を秘めた宝の生命が。
子供から親になりまた子へ親へと、あらためる事なく怪物になっていく。

学校が思想を改めてくれる訳でも無い。美しい言葉だけ並べて枠の中にちゃんと収める事ばかりで、人間の教育には悲しいかな。程遠いのではないのだろうか~。

日常のやりとりで、苦悩に満ち、息苦しかった私。
一緒に住んでいる「生き証人」である夫が 「これはいったいなんなのだ!」と感じた、ノン・フィクションを挙げてみたいと思います。

両親との同居より2ヶ月で、私はヘルペスになり、夕方には頭を自分の首で支えることも困難になる毎日。再び闇に覆われ、「疲れた~」と、鬱へのトンネルが私を呼んでいる。結婚して30年の間に、14年間のストーカーを始め、色々な社会的困難を乗り越えた私でしたが、同居に踏みきることには、5年以上も決意に至らず迷っていた。

■世間では、父は生き仏と評価され、■母は明るい人と評価されている。
「私達は、世間に一度も迷惑をかけたことない素晴らしい人格」らしい。
表と裏。人格ってなんだろう。

ここでスピリチュアル思想、洗脳された信者についての特性をまとめてみたい。
被害にあった人達に学ぶチャンス・選ぶチャンスがある事を熱心に伝えたい。
母の生。父の生。を尊重するためにも。そして、姉の死を尊重するためにも。

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