2018
10.16

「愛」と「サービス」

乃理子

私の5歳年上の姉が産まれてくる予定日は、2月28日であった。
私が産まれてくる予定日は、2月23日であった。
実際には、私が2月28日に、この世に産まれ、姉が2月23日に産まれた。
5日間が逆になり、5歳、いわゆる5年離れていた。本当に不思議な感じだ。

その姉が「愛」という文字を残した。
私が姉に伝えた言葉の中で、一番カルチャーショックを受けたのが「愛」の意味だった。
と、生前、姉が言っていた事を思い出す。

愛は与えることだと、私は姉に言った。
姉は、愛は「受けとること」だと信じてきたらしい・・・

その時、姉の心に何故か私の上記の言葉が深く深く浸透したみたいである。
今になって始めて、なぜ姉の心を動かしたのか意味がわかった。

父に友情という心の種を始めて植えた時、今まで姉と私が、
ずーーーーっと、苦しんで来た悲劇が解明したからだ。

私の父は滋賀県で7番目のお金持ちとして育った。家にはいわゆる、その昔「下男・下女」と呼ばれるお手伝いさんのような人がたくさんいたそうだ。宮殿みたいな家に住み、家の人と下男・下女の食事の部屋の仕切りには、「明らかな段差を設けてある」家の造りになっていた。日常では、車で父は送り迎えされ、幼いころから下女からのサービスを受けて育ってきた。家柄は、村長、町長、県会議員、を輩出し、私財で小学校を建てるほど。町中には、父の身内の銅像が立っていた。

そう、そんな日常を過ごして来た彼。
与えてもらったサービスを、彼は、「 愛情 」と思っている。
だから、彼自身が発する愛情は、今でも、「 サービス 」になってしまっている。

世界一、父の事が好きだった姉は2度の結婚をしているが、パートナーに求めたのは、「 父のサービス 」であった。そして、本気で母から父を奪いたかったみたいである。姉は結婚した二人のパートナーから、「 俺はパパじゃない! 」と、言われていた。

姉は、愛の本質をサービスだと信じていた。
そのため、小学校の時から大好きな父母に気に入られるため、ごはんを作っていた。
みんなから、可愛い。と褒められると両親が喜ぶので一生懸命可愛く帽子をかぶり、おめかし” していた。

そして、中学生の時から、姉は、細くて羨ましいと言われれば言われるほど、もっと痩せたい。
と、下剤を飲み始めた。あ~~~本当に悲劇である。

親になるなら、子供を人間として育てていかなければいけない事があるのではないか~。
子供は自分の持ち物じゃない。
どうして一人の人格者として共々に、成長していこうとしないのか?私は悲しい。

姉は、最期に沖縄の地を選んだ。万座ビーチが忘れられない。との事で。
しかし、京都から沖縄へ行く準備が整い、あと、一週間に迫った時に死んでしまった。

私は、姉の大好きな「海」へ、今、毎日行っている。
もしも、姉に人間としての教育がなされていたら、姉の人生も異なり今でも生きていた。と確信している。
だからこそ、思想は本当に選んでほしいし、親と同化する事を自ら律して欲しい。と、心より願っている。

せっかく人間に産まれてきて、動物と同じでは人間社会がおかしくなる。人間には、相手を尊重し相手の個性を理解し多様性を認め合い、お互いに共生していく事が出来る知性が備わっている。

同居し始め、津波のように押し寄せて来る、母の「自分は。自分は。」の感情に対して、私は、必死の思いで防波堤を作り波を押し返している毎日だ。信也くんの強力な力をかりて、震えながら踏ん張っている。

愛というのものは、心の強い人間しか使いこなせない。
だから、姉の心に浸透した愛を正義をもって証明したい。
人の不幸の上に幸福を築かない正義が平和であり、もっとも人間として美しい生き方ではないだろうか~。

今は父の幸福、母の幸福を祈れる人間に成長した。
これからも祈り続けたい。人間の道として人間として美しく生きたい。

私の家族の不幸を、今、家族で苦しんでいる人達のために、ちょっとでもお役に立つことが出来れば。
社会に対する恩返しと思ってペンを執りました。

人間は、「おかしいのかも?」 と、内省しないと本当に周りは不幸になるし、まともな人間になれない。
おじいちゃんおばあちゃんの育て方。お父さんお母さんの育て方。親がそうだったからと流してしまえば、教育も何もない。人間が本当の幸福感を得られる学びを知るべきである。今あなたが苦しんでいるのは、あなたのせいではない!!苦しみは繰り返されるだけで、学ばなかったせいである。

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