2019
09.02

「 障害物 」

利乃

障害物を悪と捉えている両親。
この現実社会の中で生きるという生のエネルギーを崩してゆく そして人生を終わらせてゆく

障害の無い人生は、希望という宝の文字を全く必要としないのではなかろうか。
希望という宝の文字を深く深く魂に教えゆくには障害が絶対に不可欠なのだ。

私達の魂は、世間体では障害(毒)と思われるような事がないと我(われ)魂に希望を教えられないようである。そして 己の魂に希望を教えることのできる人は成仏の醍醐味を知ることが出来るであろう。

生きてゆくのに障害を避けることが幸福であると思い込んでいるふたり(両親)にとっては、学ぶ必要も感情をコントロールする必要も、知力を創り上げる必要もないようだ。目の前の事柄をスムーズに行かせる事だけが人生の喜びとなり、1日1日が終わってゆく・・・・ありがとうございます。と念じながら。

毎日毎日、魂を甘やかしてゆく事により、自分のことだけでパニックになり、1つ1つ自分ですることに文句を言い、くるくると同じ愚痴を言い続ける。究極に恐ろしいことは、自分の弱さを相手のせいにすることである。自分の弱さを正当化し、相手を踏み台にして、もっともらしい正論を並び立て自分を大きく見せる巧みな悪知恵である。

だからこそ 「良い子」になってはいけない!と決意している

良い子は何も変えられない。
良い子という世間体の言葉は、罠である。

従順では自由は手に入らない。
従順では自分の表現も奪われる。

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