2019
05.11

共育

利乃

今 その場その場で教えることを躾(しつけ)といい
未来を考えて学び合う事を教育(共育)という。

信也くんと彼(父)は、正反対である。
前述が彼で後述が信也くん。

今日、ニトリに父の掛け布団を買いに行った。
ドアの前に、赤ちゃんを抱っこし4歳ぐらいの男の子を連れておられた若いお母さんがおられた。
雨が降っていたので、男の子が一生懸命に、お母さんに傘をさしてあげようとしていた。
されど、お母さんの目には男の子が自分勝手に傘を振り回しているように映ったようで、
「ちゃんと出来ないならしないで!!」「もう!お母さんがするから止めて!」と、かなり怒っていた。

いわゆる、周りを気にしての躾なのか。
自分が今することだけを考えて、子供に教えているのか~~~(汗

男の子の顔は沈んでいた。
あの、男の子のとても優しい心はどうやって育つのであろうか??
人に優しくすると怒られる。そして叱られる。
又、怒られ叱られ・・・・人に優しくするのはやめよう。とーー。

私は男の子の苦しみが本当に良くわかるし、
悪気の無いお母さんの気持ちもよくわかる。

お母さんと男の子は愛し合っているのに・・・・。
日常の躾によって、心が壊れてゆく・・・。

そして、「ちゃんと私は育てる」と思えば思うほど、男の子の心はお母さんから離れてゆく。

不幸はやがて・・・男の子が父親になった時に・・・また「躾」が繰り返される。

そうだ!不幸の鉄鎖を断ち切り、教育に切り換えてゆこう!
すると幸福が始まる。人間らしい幸福。

教育、未来を考え、共に創り出せる学びに命をつぎこんでいきたいと。私は思う。

しつけへの執着が、今に執着する保身につながり、残忍な結末をむかえる。

人間に産まれるのには、宝くじで言うと、1億円を連続100回続けて当てる確率らしい。
だからこそ、そんな確率で人間として産まれたのであるから、
躾(しつけ)という畜生界ではなく、人界、それ以上になる教育を発展させるべきではなかろうか~

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