2018
11.29

「私のきらいな心」

利乃

日曜日のPM 3:00~ TVで、デヴィ夫人の生涯をご紹介。を見ていた。
すると、母が「この女は」と、自論をしゃべり出した。正論ぶって語り始める。
そして父が私に向かって、「このデビィは」と、歪んだ表情で批判し始める。
そして、「こんな、しょーもないテレビを見ている私が悪い。と、私に注意し始めた。」

人の人生を少し知っているだけで、その人全ての人格を知っているかのように上から目線で語る。彼、彼女の心が、私は大嫌いである。

ストーカー被害に私が遭っていた時、近所の人達から、「短いスカート履いているからだよ~。」とか、「派手な格好をしているから」などなど言われた事がある。本当にそうだろうかー。あなたは私では無い。助言している人は良き社会にするにはどうするか。を、助言するべきであって、被害にあっている人を正す必要などない。

◆日本の風土には、被害者を加害者にすりかえる習性が根付いている。
いじめる側が100%悪い。いじめられる側は0% そう、悪くない。
そんな単純な事に対して、あれこれと「なんくせ」を付けて、正当化する。
批判中傷する人の潜在意識、それは権力である。権力とは、相手をコントロールしたがる力。

等身大の自分を認めてくれた人、自分を認めてくれる社会がなかったため、自分より輝いて見える人に嫉妬心が湧き上がってくる。「私と同じように、自身を殺して生きろ!」と、相手をコントロールしたくなる。
そして、その自分を正当化し、自身の中の権力にさらに餌を与えている。

そして・・・自分自身の個性を失ってゆく。

人道とは、わかりやすい方程式なのである。

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