12.21
「 善性を取り戻した日 」
本日で梅雨明けしたのかなぁ~。7月24日晴天だもん♪
さわやかな海風を受けながら 私は我が心と対話しています。。。私の54年間の人生で信じ続けていた事が崩れ始めた。そして 苔のように私の心に生えていた悪魔の教えを知ることになった。
悪魔とは 何だと思われますかー
悪魔に身も心も売った人とは どんな特質があると思いますか?
悪魔とは 人の善性を巧みに利用する魔物のことを言う。
かの有名な映画、「エクソシスト」でも 名場面がある。悪魔に聖水をかけて戦う牧師さんの良心を利用し、牧師さんの中にも悪魔と同類の悪がある。と同調させてゆくシーン。
善悪不二の法理を利用した巧みな、悪の技である。
悪の知力に1,000人のうち999人は堕ちてしまう。
悪魔は、現実のアンフェアーを生産し続けている
いつでも どこでも 善悪不二の落とし穴があり、その落と穴に入ってしまっていることさえも わからなくて。。。なぜか苦しいから そこにいる隣の人にも手を伸ばし、その落とし穴にはめ込んでゆく。そして毒された人は他人を毒していき、カルマが心身を闇で覆っていくのである。
中国の逸話:
「この世で一番恐いものは?」という問いに対して皇帝が「人喰い虎」と答えた。その回答に対して、「いや違います。答えは毒蛇です」と。毒蛇は必ず息の根を止めなければならないと。。。毒の効果が目の前のひとりだけでは済まないからである。人喰い虎はお腹がいっぱいになると、目の前に人がいても被害を加えることはないが、毒は違う。毒から毒へ毒から猛毒へと益々、毒の密度を濃くし続ける。
最悪なのは、猛毒に侵されると、、、自分はもちろんのこと、猛毒に侵された心は、まわりの人にも何故かしっかり毒を注入しているという実態である。
その実態を悪魔はしっかりと知っている。だから999人は見抜けないであろう。
しかし、魔術師ノブヤが私の心の毒をしっかり見抜いてくれた。
私は人間として大切な信用という善性を悪魔に利用され続けてきた。
姉もその教えを実行し続けて死んでいった。
それは母の見栄の感情に尽くすことで、信用という人間として生まれた宝物を守り続ける事であった。
母の見栄の感情に応えることが信用である!!と、父に教え込まれ、アンフェアな事柄までも信用という善性を利用されながら、母に尽くしてきたのである。
そして・・・尽くし続けた姉は死んだが、私はどうなっているのか?
私も信也くんに、母と同じ事をしてしまったのだ。しかも、母のアンフェアに尽くし続けたため、心の闇は「頑張る私のプライド」となり、苔のようにこびりついていたのだ!!
あ~恐ろしい おそろしい 猛毒
私は感情的になることは非常に少ないのだが・・・。
私の腕を離さなかった信也君を見下げて、正論ぶって語る自分がいるのである。
そこに人間としての平等観は全くない。そこに人間としての温かさは全くない。
その事に魔術師ノブヤが気づかせてくれた。
悪魔が一番のえさにするのは、人間の見栄である。
それは、悪魔にとって、とても美味しい餌のようである。
そして、悪魔が一番嫌いなもの。
それは純真な心であり あたたかい心である。
私は日々、自分を律してゆく それが私の幸福の人生となる。
幸福になるには、必ず幸福になる因を積まねばならない。
そんな当たり前の手順を見失うことだけは、決してしたくないのである。
ありがとうございました♥
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