2019
12.15

「ひと区切り」

利乃

今日はとても良い天気です。信也くんは京都へ行ってまーす。私ひとり、贅沢な時間を過ごしています。
さてさて、同居して1年4ヶ月と14日間、いろいろな私の心の内をブログに掲載してきました。
今 改めて思えば 全て私の心は崖っぷち状態でした。

世界の平和は 家庭の中からと言われていますが 本当に同感させて頂きます。人と人が信じ合える縮図が家庭という中に存在すれば、どれ程安心という宝物を手に入れながら善の方向へと生命が流れ出すかを!!

やはり足元=家庭=日常が大事だと、実感する次第でございます。

母はスピリチュアル父は母の強信者というタイトルの中で普遍的な真実を語りました。父は母に対してペットのような愛情を注ぎ続けた。という悲劇です。そのため 母は母になれず、自分が怪物になってしまった。父は上下関係血縁への執着により社会奉仕よりも、傲慢な我頑固者。になってしまった・・・。

いわゆる、愛という境涯があまりにも小さく低いため、人間教育という道から大きく脱線してしまったのである。これは他人事では無いのではなかろうか!!

男と女の関係性の中で、男だけではなく、女の人も なんでも私の言うことを聞いてくれる男性(人)がいい!!と答える方がおられるのではなかろうか~~。そんな方なら父はもってこい!!です!!母は玄関のドアも開けることなく 自分の脱いだ靴もそろえることなく、自分の荷持も持つことなく、日常の家事もすることなく、毎晩父は母の体をマッサージし、お風呂では父が母の背中を洗う。そしていつも「好きな物は買えばいい」と、母が浪費する事に何一つ父は文句を言わない!!

家事も負担になることは、全て無くそうと毎日外食である。目の前の扇風機さえ、母の口ひとつで、父がスイッチを入れにゆく。そんな日常生活であったため 姉も私も旦那様からは、「俺はパパではない!!」と、よく叱られた。

姉は父が世界一好きだったため、旦那様からの助言を心にとどめることが出来ずに、生の結末を迎えた。私は幸いにも父が嫌いだったため、信也くんからの助言を心に浸透させていく努力を怠らなかった。そのおかげで、今の私の幸せがある!のだと感無量です。

信也くんとの生活31年間で人としての生き方をたくさん学んだ。
私にとって何も変わらない父・母との生活は苦渋の1秒1分であった。
しかし、この同居を進めてくれた信也くんのおかげで、大きな大きな 私の命の鎖を根っこから自らの手で切ることが出来たのである~~。それは 私の首に父母のへその緒がぐるぐるぐるぐると巻き付いていることに気がついたからである。父母と離れて住んでいたなら絶対に自ら自立してへその緒を切ることが不可能であったと、私は深く確信しています。

私の心の中で、幼い頃に病弱であった私は53歳になっても、何か哀音というか、ママ~ママ~ と叫んでいるのです。そして、彼女の耳が聞こえなくなったときも 私は1日中泣きたくもないのに泣いていたのです。
友達に どうしたん??とよく聞かれました。

自分から意識して同化している魂を怖がらずに、恐れずに勇気を出して切るしかないのです。
心で そう思っても なかなか 厳しいものがありました。
しかし、幸いにも 私は生まれて初めて死を意識したのです。このままだど 父母に殺されると・・・・。

そう言えば、53歳まで 自分自身はいつ死んでもよい。と思っていました。
信也くんは本当に鋭いです。そんな私を想って 同居という荒波にいっしょに、飛び込んでくれました。
「乃理ちゃんは このままでは ママが亡くなったら 必ず拒食症か鬱になってしまう。」と・・・・言うのです。

乃理ちゃん、僕を母親だど思い!!
の心強い一言で安心と とてつもないパワーがみなぎり 私の心の闇を自らの力で払いのけることが出来たのです!!信也くんの人間教育は自然の植物や鳥さんたち動物さんたちを見たら、必ず、「乃理ちゃんと僕」に例えて私に話しかけてくれるのです。私をとてもあたたかい気持ちにさせてくれます。

しつこいぐらいの時もありますが、何故かとても安心します。そして、社会の事をよく話してくれます。
弱者が苦しむことには 非常に敏感で 彼のその想いが私を大人の女性へと成長させてくれているのです。

今日は、長々とありがとうございました。
生死をかけた戦いに負けずに勝てた ひと区切り。をご報告させて頂きました。

崖っぷちの私の心のブログを今まで読んで下さり、本当に本当にありがとうございました。
皆様に感謝いたします。

2019年 令和元年 5月4日晴れ 乃理子より。

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