2019
04.01

「 命の観点 」

利乃

明石に来て始めて自分の胃が消化不良にならない日を迎えた。
アクアブルーの美しい海をマンションから眺めながら、ひとりで夕食のホワイトシチューを食べた。

涙が出てきた。
この空間が私の心を癒やしてくれた。

ふたりは買い物。 のぶやくんは出張。

朝は、元気だけれども夕方になるといつも心が重いのだぁー。
のぶやくんと過ごした30年間と今の同居生活は真逆。命を育てる観点が真逆である。
命を医学的にしか捉えていない日常と、命を教育的に捉えている生活。

父母は、自分たちが衣食住をしっかりと育てあげたことを誇りに思っている。

のぶやくんは、いつも両手を広げて、「おかえり~」と、心を育ててくれた。
私が苦しい時も笑顔で支えてくれた。
いつも 私の手を両手であたためてくれるの。
いつも 私が自由になれることを教育してくれた。

自分の悲哀を乗り越えて同居したのに。
三つ子の魂が 父母の縁によって再現される苦悩・・・

でも 私は 前進するの。
たとえ一歩か半歩でも前へ前へ前へ 自由を求めて。

自分中心の人間は何もかも人のせいにする。
そして絶対に内省しない。恐い怪物である。
人間として絶対にしてはいけない言動を平気で行う。
結果がすべての生活 結果が思いどおりにいかないと すべて人のせい。
日常すべてが、結果おばけとなり 根も葉も関係なく、花の部分 一部分しか見ない

そして根がどうやったら根付くかも 葉はどうしたら のびのび付くかも 何も関係ないし気にもしない。
そして花の一部一部の咲き方の結果をみて、この花びらの型はおかしい。と。
人が笑うとか 人が誤解するとか。その花びら1枚1枚をちぎってゆく そしてその花は確実に死んでゆく。

気がつけば 花びらは1枚も残っていない。
かろうじて 1枚残った花びらがあるとしたら その花びらに執着しながら生きてゆく。

これが気になる あれが気になると言いつづけ 自論を固める 1枚の花びら。
自分は立派だと執着する1枚の花びら。

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