11.03
「魔界」
私の頭の中いっぱいを覆うシーンがある。
それは、戦争ドラマの最後の最後のシーンである。
ボロボロの髪と肌の少女がボロボロの服を着て、B29(米軍の飛行機)に向かって、「もううんざり!」・「やめて!」と、両手をひろげて焼け野原に一人、涙ながらに全身で訴えるシーン。それが忘れられないのである。
私の心は、いつもいつも、前述の少女のように今までの家風に対して父母に対して叫んでいる。
その度、乃理子は死んだと自分に言い聞かせているが~。
今の時点では、現証はどちらが有利なのか?我慢ばかりしている側が不条理に思い辛い思いをしている。
が、最後は必ず大丈夫。心が証明してくれると信じている。
しかし、不思議と口に出して言いたい事を、母が口に出している。さも、自分が正しい事をしているような口調で・・・。自分が悲劇のヒロインみたいに、まわりに同調を求めて被害者を加害者にまつりあげ、殺していく・・・それは、魔界の世界、そう、まさしく魔界である。彼女の力は人を魔界にひきすり込む。
ある人が言ってた。
もし私の家庭が娘2名で無く男の子がいたら、確実にその子はご両親をバットで殴り殺していたでしょう・・・・殺人事件が起こったでしょうね。と。
強信者も魔界が大好きみたいである。心を踏みにじり、魔界に引きずり込み力を発揮する。
己の心に少しでも魔界があれは、その力は吸引力を増し魔界に花を添えていく。
まずは、魔界を打ち破る努力をしなければ、魔力に餌をやるだけになる。
自分を鍛えなければ強くならなければ~。
魔界魔界 1歩外へ出ても魔界がそこにある。
魔風を吸い込みたくないが。自分の中に少しでも魔風があれば打ち破れない。
「とられじうばわん」と、空気が流れる。
利乃は、まだ産まれたばかりであるが、信也くんの力をかりて全身にあたる魔風から身を守り、魔力によって壊れそうになる心をあたためなければ~~。
最後に勝つ心。朗らかさ。
よし来い!!負けるもんか!! 内発の力で立ち上がる勇者になる。
汚い息を吐かれても 自分の内を見よ 内にこそ善の泉あり。
この泉は私が絶えず掘り下げさえすれば、たえず湧きい出るであろう。
諸天撃天鼓 (しょてぎゃくてんく) 常作衆妓楽(じょさっしゅぎがく)
※たくさんの神たちが天の鼓を打って、絶えることなくさまざまな音楽を奏(かな)で
自身の苦を砂糖に変える希望の力。
苦しみという塩は塩である。との、洗脳から解き放たれるにも相当の努力をしてきた。深く傷ついたキズに何度も塩をすりこみ、激痛には放心状態になりながらでも、うなだれた首を少しずつ上へ上へ上げる努力をし続けてきた。
その苦悩をしっかり覚えている脳を心を、我が無限の可能性へと転換してゆく。
内なる力を信じて、ひとりひとり平等に与えられた内なる力。
なんてロマンなんだろう。利乃はそれを目指します。
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