2019
01.07

「慈悲」

利乃

書道において 筆のせいではない。
楽において  楽器のせいではない。
全て本人の責である。と、儒教で説かれている。

されど、筆が上質だと美しく書けるし、良い楽器だと美しい音色になるとも言える。私は両方大事だと思う。本人が努力することが大切だし、使う道具(環境)も影響を与える。

自分を育てる努力・人を育てる努力
二つそろって人は幸福である

これからの時代は、人道競争の時代と言われている。
今までブログで丸裸になったおかげで、今までの自分と違う心が目覚め始めた。

彼女(母)の 一凶に対して慈悲が生まれた。

彼女は東京の檀家の土地持ちの一族に産まれた。
チャップリン、横綱、芸能関係の方々が、彼女の一族の住む家に挨拶に来ていた。かなり昔の時代なのに、彼女の母 (私の祖母)が入院すると、「朝食は和食になさいますか?それとも洋食になさいますか。」と、いう具合。ランチはいつも銀座で。という家系だった。

ある日、彼女が私に向かって、
「あんたはキツイ。やっぱり、ばあさんの子や!」と恐い顔で言って来た。
「私は、おばあちゃんの子では無い。あんたの子や。」と、私は言い返した。
ばあさんは、怖い。キツイ。と、今でも言い続けている。

おばあちゃんが亡くなって、もう10年以上になるのに。
生命というのは、理屈では割り切れないものですね。

母は本当に怖がりです。
何かある度に「怖い。怖い。大変や。大変や。」、「わからへん。わからへん。」と、一日に、何回も口にしている。私は心の底から、うっとうしい。と思っていた。
自分で克服してください。自分の努力不足、全て自分持ち。と、正直思っていた~。

私と正反対の父は、母のことを心の底から可愛そう。と思っているのである。父は、物理的な事の全てを母の代わりになって手を差し伸べてきた。全てを犠牲にし、子供の個性も拾い上げず、自分と同化させ権力を振るった。

それで、母は幸福になったか?
とんでもない 怪物になった。

恐怖心・不安症を乗り越えるように正し導くべきだったのに、母の弱さをそのまま”  受け入れた父は、自分も怪物になった。自分のやり方で愛を育てられると思ったようだが、彼女はここまで尽くした父に不満を持っている。

あ~不幸だ。

人間は本来 平等を求めている。
私は親という権力に立ち向かった。

そして、彼女の 一凶を慈悲で祈っていこうと思えるように成長した。
本来、母が子を思う行動だか、子が母を包んでいこうと思っている。

魔術師信也くんが、父とはアプローチが異なる角度から、私(乃理子)を心の底からかわいそう。と、同苦してくれた心が、私に勇気を開かせてくれた。

そして、みなさまのおかげです。ありがとう ♥♡

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